2017年4月23日日曜日

「司書の書誌」第47回 司書の攻防

既に旧聞に属するかもしれませんが、例の某大臣の学芸員に対する発言問題。

いみじくも、当の学芸員さん達がおっしゃっているとおり、今回の件に関する全ての文献(?)を見ている訳ではないので断定したモノいいはできませんが、それでも、ちょっと見ただけで、あまりにツッコみドコロの多すぎる大臣のご理解及びご発言に、かなりゲンナリしてしまいます……

で、この問題に対する意見の中には、

「すわっ、次は司書か?」

というような発言あったように思いますが、司書が、そこまで職業意識からくるウザさを為政者に対して与えられているのかなと、自戒を込めて思いました。

さて、気を取り直し、今回の問題の抽象度を少しあげてみると、既に他で指摘されているとは思いますが、そこは結局、資料の利用側と保存側のせめぎ合いという、古くて新しい課題に行き着くのかなと思います。

そしてこれは何も、外に目を向けるまでもなく、同じ館内でも、利用系のセクションと保存系のセクションで、まさに毎日のように、同じような攻防が続いているのではないかなと思います。

改めていうまでもなく、利用も保存もいずれも大切です。
というか、長い間の利用に耐えるために、キッチリ保存する必要がある訳です。

しかし、物理的なモノ、特に紙のような(ある意味では非常に強固ですが)弱いマテリアルの場合、利用によって劣化するコトはどうしても避けられず、勢い、保存のためには利用を制限しなくてはいけないという方向に向かいがちです。

そこで考えられる方法が、たとえば、保存用と利用用の資料を複数持つというソリューション。
ただこれは、言うまでもなく、保管場所と、整理のコストを含む予算上の制約がありますし、利用用が利用に耐えなくなった場合にどうするかという問題もあります(最近の本は、再入手不可のモノが多い)。

そこで、次に考えられるのが、そう、電子化ですね。

こちらは、電子化する際のコストはかかるモノの、その後は、利用による劣化や場所の問題は起こりませんし、さらに、同時に多くのヒトも利用できます。

ただ、今のトコロ、とにかく、使いにくい(笑)。

もちろん、個人的には本以外は認めないという立場ではありませんし、そもそも、本もそれほど完璧なでデヴァイスではないような気もしますが、ただ、やはり、いくら大きくても、パソコンの画面に向かって細かいもしくは繊細な文字を読んで作業するのはあまりに効率が悪いし、何より、カラダに悪い(苦笑)。

これが、タブレットになればいいかというと、ザンネンながら、今のトコロ、こちらも思った程ではありません。

今後、根本的に画期的な読書用端末が出てくれば別ですが、それまでは、意外と、一度電子化した資料を、本格的に利用する際には紙に再出力するという、NDL戦法が最も有効な方法なのかもしれません……

ともかく、そうやって考えてみると、今回の件は、そのあたりの課題を、改めて浮かび上がらせたのかなと思います。

……他の、あまり見たくないモノも浮かび上がってきましたが(苦笑)。

2016年10月20日木曜日

「司書の書誌」第46回 司書の料金

先日、利用者の方から(強目の)ご意見をいただきました。

当館は、府内の図書館等に自館の本を運び、その図書館を通じて利用者の方に本をお貸ししている訳ですが、その利用者が、ネットを通じてその本の取り寄せを申し込んでからその本が手元に届くまで、あまりに時間がかかり過ぎる、某巨大ネット書店で本を注文すれば翌日に届くこのネット社会で、一体、どういうコトだ、という訳です。

お聞きすると、まぁ、いろいろ不幸な偶然が重なり(得てして、この手のご意見をいただく時は、そういった場合が多いですが)、利用者の方のおっしゃるコトももっともでしたし、お気持ちもよく分かります。

ただ、あとで考えると、自分達のコトを棚に上げる訳ではないですが、やはり、民間のサーヴィスと公共サーヴィスを無条件に比べるのは、いささかフェアではないかなと思います。

まずは、そのサーヴィスを受ける際の対価、つまり、料金です。

「図書館の本は無料で読める」という言い方をしますが、もちろん、これは正確ではありません。
本屋さんやネットショップのように、その場での支払いはありませんが、「税金」という形で、(事前に)対価を払っています。

しかし、税金の中には、図書館以外にも、日々の生活にかかる様々な公共サーヴィスの費用(医療、教育、交通、安全……)が含まれており、正確には算出できませんが、こと図書館の、その本を利用するために使われている金額は、その内のごくわずかになります。

一方、ネットショップに頼めば、本の代金プラスある一定の購入額以下の場合は郵送費もかかります。
ただ、この場合は、図書館とは違って本を所有できますので、やはり、一概に図書館と比べる訳にもいきません。しかし、そうは言っても、図書館から本を取り寄せるよりは、多くの料金を払っているの間違いないでしょう。

「公共サーヴィスは安い料金しか払っていない。だから、サーヴィスの質が低くてもいい」という訳ではありませんし、もしかしたら、そういった意識が見え隠れするあたりが、昨今の民間委託への動きにつながっているのかもしれません。
ただ、公共サーヴィスの目的が、市場外の経済を担い、まずは、最低限でも、くまなくサーヴィスを提供するコトである以上、それに応じた対価を払い、(対価さえ払えれば)無制限に最高のサーヴィスを受けられる民間と同様に比較するのは、やはり、いささか無理があるのではないでしょうか。

「高い税金を払っているのに!」というお気持ちや、類似の民間サーヴィスと比較したくなる気持ちはよく分かりますが、そもそも、趣旨や目的が違うことをご理解いただけるとありがたいのですが……

2016年10月13日木曜日

「司書の書誌」第45回 司書の無制限

Amazonの定額読み放題サービス「Kindle Unlimited」が、提供出版社に断りなく、コンテンツの一部(出版社によっては全部)を削除していた(Unlimitedのラインナップからはずしていた)コトが分かり、(少なくとも、我々の界隈では)大きな話題となっています。

この件については、Amazonと提供出版社の双方に言い分があると思いますが、それはともかく、それだけ簡単に、かつ、大量のコンテンツに一気に変更があるのは、とりもなおさず、ユーザが一番混乱しますし、大きな迷惑を被ります(被りました(笑))。

考えてみれば、図書館の本も、基本的に定額(というか、無料)の読み放題サービスと言えます。

もちろん、Kindle Unlimitedと比べると、同じ本を同時に何人かで借りるコトはできませんし、(わざわざ)図書館まで行く必要があります。
一方、貸出上限はAmazonにもありますし(一時に10冊)、それこそ図書館では、ある本が急に読めなくなったり、ある特定の出版社の本が突然、一斉になくなったりというコトはありません。
(ただ、書庫スペースの関係等から除籍される本があったり、ごくまれに、不幸な事件が起こったりはしますが)

Kindle Unlimitedが登場した時には、これで図書館も必要なくなるのではという論調もありましたが、なかなか、そうは簡単にいきません。
それは、言うまでもないコトですが、「営利を目的とするかどうか」が、両者の最も大きい違いとしてあるからです。

もちろん、営利追求を否定するつもりは全くありません。
その目的のお陰で、ボクを含めた多くのヒトが、(いろんな意味で)喜ぶ、楽しめるコンテンツが提供されるからです。

ただ、前にも書いたように、売られている本には、純然たる”商品”としての面と、公共に資する”文化財”としての面が、分かちがたく混在しています。

公共図書館は、主に後者の面を考慮して制度設計をしていけばよいですが、Kindle Unlimitedをはじめとした電子書籍発行企業はもちろん、書店や出版社等、売られている本を生業をしている方達は、まずは、前者の面を安定して整えていかないといけませんし、もし、それが十分にできなければ、後者の面について、考える余地がなくなります。
そうすると、前者の面を構成する「企業としての判断」が、なによりも優先される場面があるかもしれません。

いずれにしても、エンドユーザから対価をもらってサービスを提供しているという点では、図書館も企業も全く同じ。

今回の件は、改めて、「何も最も重視するか」を考えるきっかけになるのではないでしょうか。

2016年10月8日土曜日

「司書の書誌」第44回 司書の目録

本来は、しばらく休んでいるこちらのブログで書く内容なのですが(笑)、「図書館目録」の世界では、「FRBR」(Functional Requirements for Bibliographic Records:書誌レコードの機能要件)という考え方があって、これからの目録規則は、基本的に、この考え方に則って改訂されていくと思われます。

……といっても、大抵の方は、何のコトだかサッパリだと思いますが(笑)、実は、意外と身近で関係しています。

例えば、今、みなさんが何らかの図書館目録で、『すべてがFになる』(以下、『F』)という本を検索し、2件の検索結果があったとします。

しかし、これは、2種類の全く異なった『F』という作品がある訳ではなく、同じ『F』という作品の、ノベルズ版(新書版)と文庫版がヒットしているコトが分かりました(この本には、いわゆるハードカバー版がないですが、本によっては、それも含め、3種類(以上)表示される場合もあります)。
つまり、この場合、内容としては同じ作品が、目録上は“違うモノとして”2件表示されるコトになります。

もちろん、文字が大きい方がいいとか、持ち運びやすい本がいいという理由で、本の判型が重要な要素になる場合はありますが、それでも、その作品がその図書館にあるかどうかが最優先事項だと思いますので、いきなり、同じ(ような)タイトルの本がいくつも並ぶよりも、まずは、自分が探している本があるかどうかが確実に分かり、そのあとで、(あるのなら)どの判型を選ぶという流れがよいのではないでしょうか。
そもそも、同じ作品が何らかの理由で2件以上別々にヒットすると、せっかく図書館により求めているモノがあるのに、それに気づかないという事態も発生してしまいます。

さらに、同じ作品でも、電子版大活字版がある場合もあるでしょうし、もっというと、『F』の場合なら、図書館に所蔵している例は少ないとは思いますが(笑)、漫画版アニメ版、さらには、ドラマ版もあるので、可能であれば、『F』で検索した時に、それらも一度に検索できれば、さらに便利ではないでしょうか。

そこで、FRBRという考え方が出てきます。

詳細は省きますが(というか、ボクがよく分かっていない)、FRBRという考え方では、まず、作品には、「著作(Work)という抽象的なレベルがあり(『すべてがFになる』という作品そのもの)、その次に、その作品がどのように表現されているかという「表現形」(expression。この作品の場合、先程出てきたアニメ版やドラマ版の他に、いくつかの外国語版もあり、全く違う形式で表現されているモノがあります。また、古典作品の場合なら、現代語訳版等がこれにあたります)というレベルがあり、さらに、その同じ表現形の中でも、それが、どんな形式(ノベルス版、文庫版や、電子版等)で発行されているかという「体現形(manifestation)というレベルがあり、その次に漸く、物理的なそれぞれの本の単位(「個別資料(item)。現在の図書館でいう「ローカル」とか「所蔵」という単位)で捉えようとします。

残念ながら、今の日本の図書館目録で、その考え方をキッチリ生かしているモノはまだないと思いますが、実は、不完全ながらも、一部、それを実現している目録が、図書館以外の、みなさんがよくご存知のトコロにあります。

そう、Amazonです。

少し前から、Amazonである本(例えば、『F』)を検索すると、「その他の形式およびエディションを表示する」というカタチで、その作品の文庫版やKindle版が同時に表示されます。

もちろん、Amazonの場合、「売らんかな」が目的なので、現在、購入が可能な媒体のみ(ただし、その中には中古も含まれる)なので、資料全体としての網羅性はありませんが、Amazonとしての目的は十分に果たしていますし、利用する側も、このカタチでの表示が便利だと思っている方は、多いと思います。

ただ、残念ながら(?)、現在買える本でも、出版社が違う場合は、一緒に表示されません(ちなみに、同じ文庫の出版社の違いは、FRBRの何形の違いか分かりますか?)。
この辺りこそ、図書館の真骨頂だと思うので、できればAmazonより先に実現したかった……(笑)

とにかく、この件は、進化論で言うトコロの「収斂の法則」というか、“みんなの便利”という同じゴールを追求すると、別の道からでも、結局、同じトコロに行き着くという、いい例なのかもしれません。
(もしくは、Amazonの中に、図書館情報学をおさめているヒトがいる可能性は、十分考えられますが)

2016年9月29日木曜日

「司書の書誌」第43回 司書の静寂

まだまだ話題のシン・ゴジラ
職場でも、複数回見に行った方が何人かいらっしゃいます(笑)。

さて、その中で、もうひとつ話題になったので、発生可能上映会
これは、通常、私語が禁止されている映画上映中に、いくらでも(?)を出していいというモノ。

スクリーンに(大声で)ツッコミを入れたり、鑑賞者で声を合わせたり。

予想どおり(?)、大変な盛り上がりだったようです。

で、このハナシを聞いて、スグに「発生可能図書館」というのを思いつきました。

先日、そのコトを職場で話すと、職場の企画担当から、

「あと1ヶ月早く、その発想が欲しかったわ」

と言われました(笑)。

映画と同様、原則として私語厳禁の図書館。
多くのヒトが勉強研究をするために集まっている場所なので、静寂を守るコトは、それぞれの集中のためにも、当然のコトと思われています。

もちろん、ボクもそうであるべきだと思うのですが、ただ、一方で、場合によっては、少しウルさいくらいのカフェの方が集中できたりしますし、事実、そう言っている方は少なくありません。
もしかしたら、「完全な静寂」が、集中にとって、最もいいわけでなないのかもしれません。

ただ、ポイントは、「適度にウルサい」という部分。
基本静寂で、たまに声が聞こえると、やはり、とても気になると思います。

いずれにしても、本来、集中が目的の静寂のはずなのに、いつのまにか、静寂自体が目的になり、ホンの少しの他人の会話が異常に気になったり、イラ立ちを感じてしまっては、かえって意味がないと思うのです。

大声でしゃべるのは論外ですが、もし、普通の声でしゃべっても構わなければ、どんな雰囲気の図書館になるのでしょうか?

ただ、少なくともウチの図書館の場合はお独りの利用が多いので、もし、発生可能でも、しゃべらない方の方が多く、やはり、たまの「発声」が、非常に目立ってしまうかもしれませんが……

同じく職場で、「発生可能図書館をやったらどうやろう」と言った時、ある方には、

『シン・圖書館』ですね」

と言われました。

スグにそういうリアクションが返ってくる職場にいるのも幸せですが(笑)、何が「シン」なのかは、最初から決めつけるのではなく、実際に試してみないと分からない部分もあるんじゃないかなと思います。

2016年9月22日木曜日

「司書の書誌」第42回 司書の無料

「図書館有料化」のススメ

公共図書館は、なぜ、無料(タダ)で本を貸すのでしょう?

答えは簡単。

この記事にもあるとおり、法律、つまり、「図書館法」第17条に、
(入館料等)

第17条 公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない。
と定められているからです(いわゆる、図書館の「無料原則」)。

……ただ、これでは答えになりませんよね(笑)。
そもそも、なぜ、法律で図書館が無料と定められているのでしょう。

今なら、「そんなのあたり前だ」(記事のコトバを使うなら、「自明」)と言われそうですが、実は、全くそんなことはありません。
日本でも、戦前は、図書館は閲覧料(名称は違うかもしれませんが)を払って利用するのが普通でしたし、海外に目を向ければ、今でも図書館利用に料金を徴収する国は珍しくありません。

また、一般的に図書館と同様の文化施設と思われている博物館美術館は入場料を徴収しています。

実は、「博物館法」(美術館もここに含まれる)の第二十三条にも、図書館法と同様、
「公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。」
という記述があるのです。
(ただ、その後、「但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。」と続き、実質的には、必要な経費ということで、入館料等が徴収されています)

このような事情があるにもかかわらず、現在、図書館が無料なのは、ごく簡単に言うと、「民主的な社会を作る(維持する)ため」だと思うのですが、実際には、小説や(ポピュラな)雑誌の利用が多い実情を見て、


「どうして、読書という”趣味”だけ税金で賄われるんだ?」


と思っている(主に他の趣味をお持ちの)方もいらっしゃると思います。

たとえば、(ボクのブログに頻出する)作家の森博嗣さんも、

「図書館の何が問題かというと、それは一部の人の趣味のために、みんなの税金が使われているということだ。」
「市バスや地下鉄に乗る人だって「一部」の人であるけれど、それでも無料ではない。なのに、ずっと少ないほんの一部の人間の趣味のために、何故税金が消費されなければならないのか。」
と書かれています(『常識にとらわれない100の講義』)。

公共交通機関の件は記事の中にも出てきますし、その他にも、同様の考えを持つ方は割といるようで、現に、ボクの親戚にも、自分の子どもが町の図書館でさんざん本を借りているのにもかかわらず、

「オレは、図書館は許せん。オレの趣味のクルマには、税金が使われない」

と言っていました(笑)。

この点以外にも、記事にもあるように、図書館は、そもそも「商品」として作られたモノを、それがまだ市場に出回っているウチに無料で提供しています。
何度かここにも書いていますが、もし、みなさんが、自分が仕事で提供している「サービス」を、公共セクタが無料で提供していたら、どう思うでしょう?

記事の趣旨とは違いますが、いずれにしても、図書館の「無料原則」には、上記のような意見を持つヒト達を納得させられるだけの根拠や理由があるのでしょうか……?

2016年9月15日木曜日

「司書の書誌」第41回 司書の業務

気になる社会人にインタビュー!第72回:司書に聞いてみた10のコト! | マイナビニュース

一日の流れの部分を見ると、よくぞと思うくらい、実に平均的な図書館員のスケジュールだと思うのですが、利用者の方は、もう少し、カウンタの時間が多いと思っているのでしょうか?
(この方も、日によって違うと思いますが)

ただ、図書館の中には、(ボクのように(笑))司書として採用されていても、日常的に、全く本に触る機会がないという部署もあります。

……じゃぁ、何をしているのでしょう?(笑)

都道府県立とそれ以外の公共図書館ではまた違うと思いますが、システムの管理だったり、イベント(研修等も含む)の準備や、各種の調整事務に追われています。

「司書」というよりは、ごく一般的な事務職員

で、たまに用事があって閲覧室に行くと、

「あぁ、そうだ。自分は図書館に勤めてたんだ……」

と思い出すのです(笑)。

また、たまに本に触れても、ほとんど中を読んだり見るコトはあまりありません。
その一方で、ほとんど1日中、ディスプレィを見ている状態。

もちろん、閲覧系の部署はまた違いますが、いずれにしても、「図書館の仕事」といってイメージされるモノ以外にも、実に多様な業務があります。

そして、たとえ、どんなカタチで採用されたとしても、結局、自分で思う適正とは別の次元で、ピータの法則にのっとり、行き着くべきトコロに行くのでしょう……(笑)